

我々パナソニック電工インパルスは1974年、フットボール界と社内に衝撃を与えようということから、「インパルス」と命名されて、チームの活動を始めました。チームができた当時はまだ経験者は数人で、「あいつは、なかなかいい体をしてる」、「足が速い」とかいう理由で人を集めてきてスタートしたというのが現実のところでした。
1987年に、会社からCIスポーツとして認められて、本格的に選手のリクルートが始まりました。関西学生リーグのオールスター選手を一気に獲得して、いきなり関西地区で優勝したんです。私もCIスポーツの1期生として入社しました。このころから会社のバックアップを受けて、ずっとチームを強化してきた結果、1995年にライスボウルで優勝して、初めて日本一になりました。でも、その後が大変だったんです
私が監督になったのは1999年、それこそすぐ優勝してやる、という意気込みでしたが、最終的には関西地区の3位になってしまったんです。CIスポーツになってからの歴史の中でも本当にどん底で、そこから這い上がっていくのは大変でした。だけど、その間も、ずっと言い続けてきたんです。「我々は、とにかく西日本のチャンピオンでありつづけるんだ、ということは永遠にチャンピオンでないといけない。ここを崩すと、我々が今まで築いてきた結果が全部崩壊してしまう」、と。
それでも、次の年の2000年、2001年と、社会人No.1を決めるJapan Xリーグ決勝戦で敗れてしまったんですよ。この2試合だけは本当に一生忘れられない試合です。どちらの試合も、ものの1〜2分で勝負が決まってしまった。あのとき、チームを立て直すために、自分はどう行動したらよかったのか、今でも考えることがあります。タイムアウトを取るなど、何か違うことして選手に言葉をかけていたら、次のプレー、1プレーでもいいプレーができて、勝てた試合だったのではないかと思うことがあるんです。
こうしたことが、「本当にしんどいときにいい結果を残せるプレーをするにはどうしたらよいか」ということを、考えるきっかけになりました。
普段は、グラウンドでの練習やミーティングを日々行なっているので、選手とコーチは一体なんです。ですが、試合の前のロッカールームにはコーチはいません。だからこそ、リーダー格だったりベテラン選手の行動や発言に左右されることが多くあると思うんです。試合中、監督やコーチはサイドラインにいますが、戦っている選手たちは僕らを見ているのではなく、敵を見たり、自分たちの仲間を見てプレーしています。だからこそ、そのときに中心となる選手には、できるだけ私と同じような考え方を持って欲しいと思っているので、特にリーダークラスの選手とは、積極的に話をするようにしてます。
そういったことからも、監督を始めたころは、何でも自分で決めようとしていましたが、今では、選手が自分たちのことを自分たちで考え、決めて進める。選手が考えて練習をし、チームで作戦も考える、そういったチーム運営にしています。
我々の強みは、決めたことを絶対にやろうという気持ちが根底にあることだと思うのです。我々は、仕事をしながらアメフトをやっていますが、他のチームもそれは同じです。ただ、インパルスは会社の支援を受けて、門真本社の敷地の中に全員がいて、週に平日2回練習ができて、休みの日も非常に選手が集まりやすい。もしかすると、Xリーグの中で一番恵まれているのかもしれないと思うんです。いい選手を集めて、いい練習をして、スポーツにおいては、ある意味常識的なことがきっちりやっていける環境があるんです。だからこそ、結果を残すために何が必要かを自分たちで考える。そして練習方法などを1日1日、1プレー1プレーを大切にしてく…決めたことは絶対にやる、プロセスにこだわる、ということを徹底しています。それが、強くなった理由ではないでしょうか。
こうして揺るぎない信念でやり続けたことで、2005年のライスボウルを制して日本一に返り咲きました。2008年にも優勝し、2009年には準優勝となりました。
2008年第61回ライスボウルにて